朝鮮考古学関係文献目録

(1998年4月〜)

(2003年1月10日登録、2003年1月21日追加、030302追加、030503追加、031013追加、031027追加、031127追加、031222追加、040408追加、040713追加、041228追加、050409追加、050607追加、050909追加、051127追加、060412追加、060801追加、070213追加、070523追加、070623追加、071215追加、080316追加、080531追加、080825追加、2009年1月31日、100117追加、100905追加、101109追加、110521追加、2012年5月20日現在)


凡例
・本目録は、吉井秀夫が「朝鮮半島の動向」(『日本考古学年報』54号(2001年度版))執筆のために集めた朝鮮考古学関係文献目録をベースにしている。
・本目録は、朝鮮考古学をテーマとした論文、および朝鮮半島と日本列島の対外交渉をテーマとした論文(渡来人関係を含む)のうち、日本人研究者によるもの(日本語・韓国語を問わない)と、韓国人・朝鮮人研究者によるもの(日本語で発表されたもの、または日本語に翻訳されたもの)を収録対象とした。
・目録は発行年別にわけたが、『日本考古学年報』の動向の扱う時間幅の制約上、1998年は4月以降のみを、2002年は3月までと4月以降を別途にまとめた。韓国人研究者はカナタ順で、日本人やそれ以外の研究者は50音順で配列した。
・韓国語で発表された文献題目は日本語訳した。また表記できない漢字はカタカナで表示した。(2003年1月10日記)


2011年2010年2009年2008年2007年2006年2005年2004年2003年2002年(4月以降、新規登録分)2002年(3月まで)2001年2000年1999年1998年(4月以降)


新規登録論文(2012年5月20日登録)

,東潮,2011,「朝鮮古代の墓制と領域」,『講座日本の考古学』7(古墳時代(上))、pp.590-614,東京,青木書店,
,岡寺良,2011,「倭城と国内城郭−縄張りにみる連続性と非連続性−」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.121-132,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,太田秀春,2011,「朝鮮王朝の日本城郭認識」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.165-183,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,小澤毅,2011,「7世紀の日本都城と百済・新羅王京」,『日韓文化財論集U』、pp.1-21,奈良,奈良文化財研究所・大韓民国国立文化財研究所,
,小田祐樹,2011,「日韓古代火葬墓の比較研究−日本古代火葬墓の系譜をめぐって−」,『日韓文化財論集U』、pp.53-99,奈良,奈良文化財研究所,
,黒田慶一,2011,「秀吉軍の日本搬入の朝鮮瓦について−東莱倭城との関係から−」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.63-68,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,酒井清治,2011,「渡来文化と渡来人」,『講座日本の考古学』7(古墳時代(上))、pp.638-666,東京,青木書店,
,庄田慎矢・池a周・梅崎恵司・長井謙治・柚原雅樹,2012,「瑞山新松里遺跡における磨製石器製作工程の復元」,『第23回東アジア古代史・考古学研究交流会予稿集』、pp.32-37,福岡,東アジア考古学会,
,高久健二,2011,「楽浪・三韓(考古学)」,『朝鮮史研究入門』、pp.37-43,名古屋,名古屋大学出版会,
,高田貫太,2011,「朝鮮三国時代と古墳時代の接点」,『季刊考古学』第117号、pp.24-30,,東京,雄山閣,
,武末純一,2011,「原三国時代年代論の諸問題−北部九州の資料を中心に−」,『原三国時代年代論の諸問題』、p.45-89,大邱,世宗文化財研究院,
,田中聡一,2011,「新石器時代」,『朝鮮史研究入門』、pp.18-23,名古屋,名古屋大学出版会,
,千田剛道,2011,「高句麗都城研究と平壌安鶴宮遺跡」,『文学・芸術・文化』第22巻、pp.69-80,大阪,近畿大学文芸学部,
,中川あや,2011,「古代韓半島における唐代腰帯の受容」,『日韓文化財論集U』、pp.101-124,奈良,奈良文化財研究所,
,中西義昌,2011,「豊臣政権下の国内城郭と倭城−城郭遺構からみた朝鮮出兵−」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.143-163,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,林正憲,2011,「日韓両地域における寺院の造瓦体制の比較研究−8世紀を中心に−」,『日韓文化財論集U』、pp.183-208,奈良,奈良文化財研究所,
,坂野和信,2011,「原三国時代前期の度量衡成立(T)−弁・辰韓の鉄資源と社会構成−」,『嶺南考古学』57、pp.35-80,晋州,嶺南考古学会,
,平郡達哉,2011,「南韓地域出土彩文土器に対する基礎的研究」,『嶺南考古学』57、pp.5-33,晋州,嶺南考古学会,
,平郡達哉,2011,「朝鮮半島青銅器時代墓制研究の動向と課題」,『みずほ』第42号、pp.67-83,天理,大和弥生文化の会,
,堀口健弐,2011,「倭城石垣の矢穴技法について」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.69-80,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,宮里修,2011,「青銅器時代・初期鉄器時代」,『朝鮮史研究入門』、pp.23-30,名古屋,名古屋大学出版会,
,宮里修,2011,「外国考古学の動向 朝鮮半島」,『日本考古学年報』62、pp.57-62,東京,日本考古学協会,
,山崎敏昭,2011,「倭城の瓦研究最新事情−泗川倭城の調査事例を通して−」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.51-59,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,吉井秀夫,2011,「旧石器時代」,『朝鮮史研究入門』、pp.13-18,名古屋,名古屋大学出版会,
,吉井秀夫,2011,「高句麗(考古学)」,『朝鮮史研究入門』、pp.49-53,名古屋,名古屋大学出版会
,吉井秀夫,2011,「百済(考古学)」,『朝鮮史研究入門』、pp.57-62,名古屋,名古屋大学出版会
,吉井秀夫,2011,「新羅(考古学)」,『朝鮮史研究入門』、pp.67-71,名古屋,名古屋大学出版会
,吉井秀夫,2011,「加耶(考古学)」,『朝鮮史研究入門』、pp.74-78,名古屋,名古屋大学出版会
,吉井秀夫,2011,「朝鮮半島との交渉」,『講座日本の考古学』7(古墳時代(上))、pp.615-637,東京,青木書店,
,倭城研究シンポジウム実行委員会・城郭資料学会,2011,,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,

,権純康,2011,「釜山鎮城−子城台倭城−遺跡」,『倭城 本邦・朝鮮国にとって倭城とは』、pp.13-30,福岡,倭城研究シンポジウム実行委員会・城館資料学会,
,金一圭(金憲ソプ訳),2011,「陶質土器の観点からみた初期須恵器の年代」,『国立歴史民俗博物館研究報告』第163集、pp.1-62,佐倉,国立歴史民俗博物館,
,安宝蓮,2011,「韓日における古代都城の高級織物精算と使用−服飾制度成立期を中心に−」,『日韓文化財論集U』、pp.329-353,奈良,奈良文化財研究所,
,李仁淑,2011,「日韓における6〜7世紀の瓦の関連性についての検討−平瓦を中心として−」,『日韓文化財論集U』、pp.147-182,奈良,奈良文化財研究所,
,田庸昊,2011,「古代日韓における技術文化の変遷過程−日韓出土の坩堝を中心に−」,『日韓文化財論集U』、pp.239-311,奈良,奈良文化財研究所,
,鄭修オク,2011,「古代木製品の組成と特徴に関する検討」,『日韓文化財論集U』、pp.125-146,奈良,奈良文化財研究所,
,車順チョル,2011,「新羅における短板叩き平瓦の出現と意味−弧状叩きと横方向叩きの区分と特徴−」,『日韓文化財論集U』、pp.209-237,奈良,奈良文化財研究所,
,韓松伊,2011,「6〜7世紀遺跡出土ガラス玉の特徴−扶余王興寺址、公州武寧王陵出土ガラス玉の分析資料を中心に−」,『日韓文化財論集U』、pp.313-327,奈良,奈良文化財研究所,
,黄仁鎬,2011,「新羅王京の整備における基準線と尺度」,『日韓文化財論集U』、pp.23-51,奈良,奈良文化財研究所,

,大谷薫,2010,「韓半島細石器石器群における作業工程の復元と遺跡構造」,『旧石器研究』第6号、pp.107-118,東京,日本旧石器学会,
,小畑弘己,2010,「朝鮮半島の旧石器文化」,『講座日本の考古学 2 旧石器時代 下』、pp.481-510,東京,青木書店,
,亀田修一,2010,「朝鮮半島における造瓦技術の変遷」,『古代東アジアの造瓦技術』、pp.134-168,奈良,奈良文化財研究所,
,花谷浩,2010,「飛鳥の瓦と百済の瓦」,『古代東アジアの造瓦技術』、pp.121-133,奈良,奈良文化財研究所,
,平野吾郎,2010,「飛鳥寺の伽藍配置の成立について」,『静岡県考古学研究』41・42、pp.223-236,静岡,静岡県考古学会,
,藤井和夫,2010,「日本所在真坡里壁画古墳発掘調査関係資料について」,『日本所在高句麗遺物V』、pp.126-273,ソウル,東北アジア財団,

,金有植,2010,「五〜六世紀の新羅と周辺諸国の瓦」,『古代東アジアの造瓦技術』、pp.96-120,奈良,奈良文化財研究所,

新規登録論文(2011年5月21日登録)

,東潮,2011,「キトラ・高松塚壁画をめぐる東アジア古代の歴史環境−唐・新羅・日本の国際関係−」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.1149-1228,大邱,慶北大学校出版部,
,諫早直人,2011,「洛東江下流域出土馬具の地域性とその背景」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.77-104,大邱,慶北大学校出版部,
,井上主税,2011,「泗川勒島以西の衰退−その歴史的背景について−」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.247-268,大邱,慶北大学校出版部,
,大澤正己・角田徳幸,2011,「韓国における製鉄原料の金属学的調査−達川鉱山及び龍里遺跡採集資料について−」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.1119-1148,大邱,慶北大学校出版部,
,片山まび,2011,「木村定三コレクションの高麗・朝鮮陶磁」,『木村定三コレクション朝鮮陶磁』、pp.86-91,名古屋,愛知県美術館,
,片山まび・永井正弘,2011,「釜山窯の窯跡の現況と採集片について」,『木村定三コレクション朝鮮陶磁』、pp.92-95,名古屋,愛知県美術館,
,亀田修一,2011,「考古学からみた日本列島と朝鮮半島の交流−古墳時代の西日本地域を中心に−」,『専修大学社会知性開発研究センター 東アジア世界史研究センター年報』第5号、pp.111-130,神奈川,専修大学社会知性開発研究センター,
,桑野栄治,2011,「朝鮮都城史研究の現況」,『東アジア都城の比較研究』、pp.87-88,京都,京都大学学術出版会,
,桑野栄治,2011,「朝鮮王陵研究の現況」,『東アジア都城の比較研究』、pp.255-256,京都,京都大学学術出版会,
,桑野栄治,2011,「朝鮮初期の「禁苑」−景福宮後苑小考−」,『東アジア都城の比較研究』、pp.330-343,京都,京都大学学術出版会,
,桑野栄治,2011,「朝鮮初期の圜丘壇と北郊壇」,『東アジア都城の比較研究』、pp.23-41,京都,京都大学学術出版会,
,小林孝秀,2011,「東日本における横穴式石室の導入をめぐる諸問題−所謂「長鼓峯類型石室」と韓半島の動向から−」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.1095-1118,大邱,慶北大学校出版部,
,定森秀夫,2011,「木村定三コレクションの陶質土器」,『木村定三コレクション朝鮮陶磁』、pp.81-85,名古屋,愛知県美術館,
,高瀬克範,2011,「大邱燕岩山・慶州煌城洞遺跡出土石器の使用痕分析」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.77-104,大邱,慶北大学校出版部,
,高田貫太,2011,「瓦からみた7世紀の日羅関係」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.1259-1282,大邱,慶北大学校出版部,
,高橋浩二,2011,「味雛王陵地区古墳群および皇吾洞34号墳出土の翡翠勾玉」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.611-638,大邱,慶北大学校出版部,
,田中俊明,2011,「古代朝鮮における羅城の成立」,『東アジア都城の比較研究』、pp.379-394,京都,京都大学学術出版会,
,田中俊明,2011,「朝鮮三国の陵寺について」,『東アジア都城の比較研究』、pp.188-207,京都,京都大学学術出版会,
,田中俊明,2011,「新羅の始祖廟・神宮」,『東アジア都城の比較研究』、pp.398-403,京都,京都大学学術出版会,
,長友朋子,2011,「朝鮮半島における土器の技術革新と生産体制−民族事例との比較研究−」,『待兼山論叢』第44号、pp.31-59,大阪,大阪大学大学院文学研究科,
,松永悦枝,2011,「土器副葬様相からみた大邱・洛東江中流域墓制の展開」,『慶北大学校考古人類学科30周年紀念 考古学論叢』、pp.787-816,大邱,慶北大学校出版部,
,毛昭晰(神尾恵一訳),2011,「先秦時代の中国江南地域と朝鮮半島の海上交通に関する端緒的研究」,『古代学研究』189、pp.24-37,大阪,古代学研究会,
,門田誠一,2011,,『高句麗壁画古墳と東アジア』,京都,思文閣出版,
,山本孝文,2011,「百済遺跡出土の中国系文物と対中交渉」,『専修大学社会知性開発研究センター 東アジア世界史研究センター年報』第5号、pp.31-50,神奈川,専修大学社会知性開発研究センター,

,朴淳發,2011,「泗ヒ都城研究の現段階」,『東アジア都城の比較研究』、pp.42-69,京都,京都大学学術出版会,
,朴淳發,2011,「韓国古代の都城と墓域−百済を中心に−」,『東アジア都城の比較研究』、pp.165-187,京都,京都大学学術出版会,
,宋義政(高久健二訳),2011,「新羅出土の外来系文物」,『専修大学社会知性開発研究センター 東アジア世界史研究センター年報』第5号、pp.51-85,神奈川,専修大学社会知性開発研究センター,
,朱洪奎,2011,「早稲田大学会津八一記念博物館所蔵の高句麗瓦について」,『早稲田大学会津八一記念博物館研究紀要』第12号、pp.119-132,東京,早稲田大学会津八一記念博物館,
,崔卿煥(土田純子訳),2011,「百済土器窯跡から見た土器生産体制」,『古代学研究』189、pp.1-23,大阪,古代学研究会,

,諫早直人,2010,,『海を渡った騎馬文化 馬具からみた古代東北アジア』,東京,風響社,
,大竹弘之,2010,「朝鮮半島のミニチュア瓦鼎−高霊金氏門中墓出土明器−」,『考古学は何を語れるか』、pp.587-596,京都,同志社大学考古学シリーズ刊行会,
,大坪州一郎,2010,「初期須恵器窯跡から出土する軟質土器について」,『古代窯業の基礎研究−須恵器窯の技術と系譜−』、pp.239-241,京都,真陽社,
,大庭重信,2010,「渡来人と麦作」,『待兼山考古学論集U−大阪大学考古学研究室20周年記念論集−』、pp.413-427,大阪,大阪大学考古学研究室,
,亀田修一,2010,「遺跡・遺物にみる倭と東アジア」,『日本の対外関係1 東アジア世界の成立』、pp.286-304,東京,吉川弘文館,
,亀田修一,2010,「日本の重弁蓮華文軒丸瓦と朝鮮半島の瓦−樫原廃寺式・原山廃寺式・丹比廃寺式軒丸瓦を中心に−」,『古代瓦研究』X、pp.106-123,奈良,奈良文化財研究所,
,川崎保,2010,「力士形埴輪と北東アジア角抵力士像との対比と考察」,『考古学は何を語れるか』、pp.219-228,京都,同志社大学考古学シリーズ刊行会,
,菊池大樹,2010,「高霊池山洞44号墳出土の馬歯」,『慶北大学校博物館年報』第7号、pp.49-51,大邱,慶北大学校博物館,
,清水宗昭,2010,「韓半島における横長剥片技法の存在」,『21世紀の韓国考古学』vol.V、pp.693-713,ソウル,周留城,
,千田剛道,2010,「高句麗瓦研究の二、三の問題」,『第22回東アジア古代史・考古学研究会交流会 地域発表及び初期須恵器窯の諸様相−予稿集−』、pp.13-19,大阪,大阪朝鮮考古学研究会,
,長柄毅一,2010,「現代のインド、韓国における高錫青銅器の加工と熱処理−熱間加工温度と熱処理温度の調査報告−」,『アジアの高錫青銅器−製作技術と地域性−』、pp.23-37,富山,富山大学芸術文化学部,
,端野晋平,2010,「朝鮮半島南部無文土器時代前・中期炭素14年代の検討−歴博弥生開始年代に対する検討もかねて−」,『古文化談叢』第65集、pp.217-247,福岡,九州古文化研究会,
,藤尾慎一郎・李昌煕編,2010,「歴博国際研究集会「日韓先史時代の集落研究」開催報告」,『国立歴史民俗博物館研究報告』第160集、pp.73-188,佐倉,国立歴史民俗博物館,
,三阪一徳,2010,「日本列島出土孔列土器の製作技術−北部九州地域を対象に−」,『考古学は何を語れるか』、pp.175-194,京都,同志社大学考古学シリーズ刊行会,
,門田誠一,2010,「百済・王興寺址舎利容器銘文にみえる舎利の奇瑞と系譜」,『考古学は何を語れるか』、pp.597-607,京都,同志社大学考古学シリーズ刊行会,
,山田隆文,2010,「日本の都城制と新羅金京研究」,『三国〜朝鮮、発掘調査と成果 韓国の都城』、pp.169-202,慶州,国立慶州文化財研究所・国立扶餘文化財研究所・国立加耶文化財研究所,

,金奎虎・安珠暎,2010,「韓国古代高錫青銅器の時代別組成特性と変遷」,『アジアの高錫青銅器−製作技術と地域性−』、pp.63-69,富山,富山大学芸術文化学部,
,「眞晟,2010,「無文土器時代前期の墓制」,『国立歴史民俗博物館研究報告』第160集、pp.127-140,佐倉,国立歴史民俗博物館,
,辛勇旻・李相龍,2010,「慶南地域高麗〜朝鮮時代出土高錫青銅遺物研究」,『アジアの高錫青銅器−製作技術と地域性−』、pp.55-62,富山,富山大学芸術文化学部,
,李東冠,2010,「日本列島における半島製鉄製農具のあり方」,『第22回東アジア古代史・考古学研究会交流会 地域発表及び初期須恵器窯の諸様相−予稿集−』、pp.1-12,大阪,大阪朝鮮考古学研究会,
,李秀鴻,2010,「蔚山地域の青銅器時代集落について」,『国立歴史民俗博物館研究報告』第160集、pp.107-125,佐倉,国立歴史民俗博物館,
,李恩碩,2010,「韓半島統一新羅以前の高錫青銅器」,『アジアの高錫青銅器−製作技術と地域性−』、pp.47-54,富山,富山大学芸術文化学部,
,李享源,2010,「集落構造からみた韓国中西部地域の青銅器社会」,『国立歴史民俗博物館研究報告』第160集、pp.87-106,佐倉,国立歴史民俗博物館,
,曹美順(小池史哲訳),2010,「沃野里方台形古墳出土の円筒形土器について」,『古文化談叢』第65集(2)、pp.169-177,福岡,九州古文化研究会,
,鄭一(吉井秀夫・大庭重信訳),2010,「栄山江流域の三国時代窯跡について」,『第22回東アジア古代史・考古学研究会交流会 地域発表及び初期須恵器窯の諸様相−予稿集−』、pp.109-140,大阪,大阪朝鮮考古学研究会,
,鄭昌煕,2010,「平壌出土の高句麗蕊附蓮蕾瓦当の分類と編年」,『第22回東アジア古代史・考古学研究会交流会 地域発表及び初期須恵器窯の諸様相−予稿集−』、pp.21-35,大阪,大阪朝鮮考古学研究会,

このページ作成の契機について
朝鮮考古学に関する文献目録があればという話は、専攻研究者が集まると時々話題になります。しかし、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・日本を全て網羅するのは、基礎的な情報を集めるだけでも大変です。また、日本での文献を集めるにしても、渡来人関係の文献まで守備範囲を広げると、個人的な能力ではどうにもならない、というのが実感です。
そうした中で、大まかな状況を把握できる情報源が、『日本考古学年報』の研究動向における「朝鮮半島の動向」でした。ところが年報のスリム化などの影響で、1997年度を最後に、「朝鮮半島の動向」は掲載されなくなりました。残念なことだと思っていたところ、私に『日本考古学年報』54号(2001年度版)の原稿依頼がやってきました。しかも、1998年度から2001年度までの4年分をまとめてやってくれとのこと。約半年がかりで集めてみると、やはり論文の数は想像以上に多く、その全てを掲載・紹介することができませんでした。
 そこで、せっかく集めた文献情報を公開しようというのがこのページ作成のもくろみです。「私の書庫から」のデータと同様、生のデータの羅列になっていますが、研究のお役に立てば幸いです。なお、今後データを追加できればという希望がありますが、ここまで集めた仕事量を考えると、完璧を期すことはまず無理。複数人によるデータの集め方を今後模索したいと思います。(2003年1月10日記)


吉井秀夫のホームページに戻る