思いつき・思いこみ

このページの開室にあたって(1999.5.20)
 ホームページを公式に(?)開室して早や1週間余り。「考古学のおやつ」で紹介していただいたおかげで、何人かの方からメールをいただきました。感謝申し上げます。中には、「これからちょくちょく拝見します」、という声もあったのですが、あいにく継続してみていただくものがありません。しかたなく、駄文でも書くか、ということになりました。あまり熱心に書くと、「あの原稿はどうなったの」、というつっこみがありそうなので、ちょっとした「思いつき」を「思いこみ」の激しいうちに書く予定です。内容は考古学ネタが中心になればいいのですが、さてどうなりますことやら。どうぞお手柔らかに。


第31回 福岡に「語学留学」!?−SEAA5参加始末記−(2012.6.17)NEW

第30回 慶州金冠塚関連資料の公開をめぐって(2011.11.7)

第29回 有光教一先生の思い出(2011.5.21)

第28回 もう1つのあとがき(2010.11.3)

第27回 韓国博物館100周年を迎えて(2009.7.11)

第26回 北京で英語を叫ぶ(?)(2008.7.7)

第25回 久しぶりの金海訪問(2008.6.22)

第24回 今時の韓国考古学事情(2006.12.18)

第23回 「バイリンガル」かな?(2006.11.1)

第22回 講義情報は誰のもの?(2006.9.19)

第21回 「お隣り」でも「隣国」(2006.8.21)

第20回 ある高校地歴部の廃部(2006.4.1)

第19回 近くて遠い「過去」を訪ねて(2005.11.27)

第18回 アメリカ一人旅(2004.6.19)

第17回 恥ずかしい写真(2002.9.30)

第16回 報告でいえなかったこと−シンポジウム三本勝負その3−(2002.6.2)

第15回 「デ、デンバーってどこ?」−シンポジウム三本勝負その2−(2002.4.9)

第14回 同時通訳は大変だ−シンポジウム”三本勝負”その1−(2002.3.19)

第13回 グラフは自分でつくるもの−2001年度情報考古学の講義を終えて−(2002.2.28)

第12回 「右」か「左」か?−日・韓考古学用語にまつわる覚書(2)−(2001.4.2)

第11回 韓国の大学院事情(2001.2.19)

第10回 「捏造事件」に思う−韓国での報道に接して−(2000.12.2)

第9回 「威信財」と「威勢品」−日・韓考古学用語にまつわる覚書(1)−(2000.10.12)

第8回 当たり屋になりたい(2000.8.15)

第7回 日本から百済をみる(2000.6.13)

第6回 れきし・ヨクサ・History(2000.2.28)

第5回 みられる恐怖とみせる勇気(2000.2.12)

第4回 韓国の「教授」、日本の「助教授」(1999.11.15)

第3回 通訳が増えたわけ(1999.8.16)

第2回「吉野ヶ里遺跡」か?「吉野ケ里遺跡」か?−コンピュータによる図書検索の落とし穴(その2)−(1999.6.3)

第1回 報告書は図書か?雑誌か?(1999.5.20)


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