訃報続々! 平成の業師「赤跋扈」亡くなる…
アノ巨漢力士「鉄冠」も

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 今月、明治から平成にかけて一世を風靡した名力士達が相次いで亡くなった。

 平成の業師と謳われ、小さな巨躯ながら軽いフットワークと広いネットワークを活かして連続平幕在位記録99場所の元小結赤跋扈が9日心不全で亡くなった。
 現役時代には7場所連続全敗の世界記録を打ち立てながらも難なく平幕に残留。その不甲斐なさで、世間を魅了しつづけた。
 赤跋扈は、多彩な技を繰り出し、四つに組むと巧みな話術で相手を嘲弄。これは囁き戦術とも呼ばれ、多くの力士が無意識のうちに土俵を割るなどして白星を掠め取った。また、上位陣には滅法弱く、三賞を数多く逸するなどして活躍。60歳で定年引退するまで通算3033勝2908敗、金星8個、MVP3回、GI7勝など華々しい戦跡を残した。また、63年には新人王を獲得。角界の雷雲児と呼ばれ、庶民の睥睨の的にもなった。
 赤跋扈の長男は酒(十両)、次男は鬼(序二段)、三男は薔薇(横綱)、四男は聖(前頭)、五男は斗(十両)、長女はアーチャリー(序の口)、さらには夫人が出日の富士(幕下)と、家族全員が力士という名門相撲一家。なかでも三男の横綱天狗は“和製アサシン”の異名を取り、黒星を喫した対戦相手には必ず3日以内に報復し、その寝首を掻いていた。

 また、現役時代に“爆薬満載コマンドー”と称され、角界の爆弾マニアこと元平幕の鉄冠が24日午前、急逝した。死因は太り過ぎによって脂肪が気道を圧迫したことによる窒息死と見られる。
 現役時代には角界最重量の666kgというトンでもない巨漢力士としてTVにも映るなどして有名になった。しかし、主に小兵力士ばかりから白星を重ねてきたため、相撲ファンのみならずテロリストたちからもその命を狙われていたという。
 通算成績は422勝679敗2分で金星1個。95年にはミスターフォトジェニックに選ばれ、死の直前にはアネテオリンピッグ代表選考会で落選している。
 どちらも告別式の日取りは未定で、喪主すら決まっていないし、果たして遺体がどこにあるかを知るものもいないらしい。実に頼もしい。

 さらに、140年もの長きに渡り相撲協会の常任監事を務めてきた的佐古親方が1日、エイズで死亡した。101歳だった。
 親方は、明治39年生まれで、大正3年に角界入り。以後、力士学校教官、双葉山親衛隊、ついで大相撲博物館副主事を経て、大正6年日本相撲協力会の常任監事に就任。強引とも言えるまでの政治的手腕で大相撲改革を断行。生来の毒舌で多くの犠牲者を出した。
 現役時代には「ローマのキラーマシン」と呼ばれ、必殺技のバイエルンスペシャルで土俵を沸かせた。特に、昭和9年梅雨場所16日目の対横綱亜美ノ式戦で、突進する横綱を一撃で殴殺し、死姦した大一番は記憶に新しい。
 当時亜美ノ式は燃焼系横綱と呼ばれ無敵を誇っていた。しかもその巨漢に似合わぬ繊細な取り口で人気を博し、横綱では初となる町人出身者であったことから、平民宰相・町横綱などの愛称でも呼ばれていた。
 生涯成績は1201勝7敗22分で、角界においては圧倒的な強さを誇っていた。優勝24回、三賞受賞6回を記録し、優勝回数は当時の世界記録であった。4年前の三冠王者決定戦で挑戦者のベイダー(初段・巨桑会)に敗れたのを最後に、一度も敗れていなかった。
 最後の言葉は「そんな運動しなくても…」だったという。

今川開発


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