思いつき・思いこみ

第7回 日本から百済をみる
 去る5月21日から29日まで、国立公州博物館の日本所在百済文化財調査に参加して、東京と福岡に出張しました。昨年の近畿地方での調査に続いて、今回も多くの方々からのご援助によって、無事調査を終了することができました。本当にありがとうございました。今回は、この調査に関わりながら考えたことを書き留めておきたいと思います。

 昨年、第1回調査への協力を要請されて一番困ったのは、「百済文化財」という概念を、どのように定義するのか、という問題です。最初に国立公州博物館側から調査対象としてあげられたのは、「須恵器」や「横穴式石室」。確かに系統論的な立場からすればその一部は百済系とみなしてもいいでしょう。しかしその立場をどんどん広げていけば、日本の須恵器や横穴式石室はすべて百済系、もしくは半島系ということになりかねません(まあ、日本でも、韓国で最近類例が増えてきた前方後円形の墳丘や、円筒形の土製品に対して、在地の考古学的なコンテキストを無視したような議論が一部で横行しているわけですから、文句がいえる筋合いでもないのですが)。では、どこで百済系資料と在地化した資料を分けるのか、ということになりますが、これはなかなか難しい問題です。第1回調査では、この点についてはほとんど議論を詰められず、内容的にはかなり消化不良のまま、報告書は刊行されてしまいました(現段階での「百済系考古資料」についての私の見解については、報告書に掲載された拙稿を御参照下さい。こちらに日本語訳を公開しています)。

 今年の4月になって、九州を対象とする第2回調査の要請がきました。今回は勘弁してくれ、といったものの、正式な共同調査員として参加してほしいといわれ、結局引き受けることに。前回の総花的な調査への反省から、今回は、福岡県で最近例が増加している土器類を主な調査対象にすることとしました。今回調査した資料のうち、問題なく百済系といえそうなのは、大刀洗町西森田遺跡出土の有蓋高杯(ただし、胎土分析の結果は陶邑産)と、福岡市広石Tー1号墳出土の瓶ぐらい(これも新羅系である可能性が残っています)。あとは、「鳥足文土器」といわれる特殊なタタキが施された土器群と、鋸歯文をもつ土器群、そして両耳壷が主たる対象でした。

 ところが、実はこれらの土器群の評価については、韓国側に大きな問題があります。というのも、忠清道・全羅道での調査が進み、「百済地域」内での土器や墓制の地域性が明らかになるにつれ、これらの土器は、もともと漢江流域に拠点をもった百済の中央勢力の土器ではないらしいことがわかってきました。そして、これらの土器の分布圏は、『三国志』魏書東夷伝で「馬韓」と呼ばれた集団の広がりを反映している、とみる考え方が、韓国の一部研究者から出されています。もしその説が正しいなら、日本列島における鳥足文土器や鋸歯文をもつ土器の出土状況も、これまで日本考古学では考慮されてこなかった集団との関係を示すものとして考える必要がでてきます。またそれ以前の問題として、これらの資料が百済系でないとなると、我々の調査が成り立たなくなります。悩んでいてもすぐに答えがでるわけではないので、今回はとにかくより多くの資料を収集して、韓国の研究者に紹介し、今後の韓国内での議論に使えるような資料集作成を目指すことになりました。

 実際に調査をはじめてみると、私が知らなかった資料や、これまで気づかれていなかった資料もでてくること、でてくること。福岡県においては、これまで知られていた以上に鳥足文土器や鋸歯文土器が入ってきていることを知ることができました。ただ、今回の調査にこられた申英浩さんと調査を進めているうち、2人とも次第に首をかしげることが多くなってきました。というのも、実見した土器には、類例がすぐに思いつかないものが結構多かったからです。例えば鳥足文土器の場合、韓国の類例は5世紀以降の墳墓出土資料が大部分で、そのほとんどが陶質土器です。しかし、今回の調査では、4世紀代で、赤褐色に焼けた例が少なからずありました。タタキの文様モチーフは同じなのに、土器の色調に違いがある(ということはおそらく焼成方法も違うのでしょう)ことを、どう説明すればよいのでしょうか。可能性はいろいろと考えられますが、いずれにせよ、韓国側の資料整理を行ない、類例の有無を吟味しなければ、妥当な説明にたどりつくことは難しそうです。

 資料調査のお世話をしていただいたみなさんからは、異口同音に「百済に似たものがありますか?」とか、「いつごろのものですか?」という質問がでたのですが、すっかり自信をなくした我々は、「それは、これから報告書を作成しながら検討したいと思います」と、お茶を濁す他にありませんでした。百済地域では、最近まで3〜4世紀に該当する資料が非常に限られていました。ところが、ここ2〜3年でこの時期の資料が急激に増加しつつあります。日本の出土例を明らかにするためには、まずはこれら新出の資料に対する整理と比較が、なにより大切だということを痛感させられました。

 こうした次第で、日本の中の百済を探すはずの今回の調査は、実は日本の資料を通して百済の資料をもう一度見直すための問題点を探す旅となりました。お世話頂いた担当者の方々をほったらかして、土器の観察の仕方や、その評価のあり方について、韓国語でしゃべりまくっていた我々の調査は、非常にご迷惑であったのではないかと恐縮しています。しかし、何とか日本の研究者にとっても役に立つような報告書にしていきたいと思いますので(実際に執筆するの申英浩さんですが)、どうぞこれからもご協力の程よろしくお願いいたします。

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